新日に移籍、猪木と戦う!って時は興奮したが、試合は面白くなくてガッカリ
猪木では無理だったかとか思ったし、ブロディの膝の流血がしらけた
[匿名さん]
新日でのピークは運命のメロディに乗って初登場した時だったねww
[匿名さん]
ブロディ絡みのカードは、ハンセンやベイダーやホーガンとかも面白そうなのもやってないままやったしね。
[匿名さん]
鶴田×ブロディは全日のレベルの高さを示した
鶴田×ブロディは全日ファンの誇り
[匿名さん]
イエスキリストと類似の、熱心なキリスト教徒だね。本当は争うごとが大嫌い。
[匿名さん]
実はじゃなくて、インテリジェンスモンスターって異名だったじゃん
[匿名さん]
延髄斬り三連発でも倒せない
空振りでもKOされてた連中の立場がない
[匿名さん]
8:40頃の延髄斬りは『当たりが浅かった』とヌケヌケと言ってしまう小鉄
どっちやねん!
[匿名さん]
ジイさんになったD・ブルーザーを圧倒したみたいにサンマルチノもボコボコにしたのかな?
[匿名さん]
1976年7月、ビンス・マクマホン・シニアの命名により、ブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)に改名してWWWFへ参戦。
8月7日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに初出場してケビン・サリバンを2分29秒で下し、9月4日と10月4日の定期戦においてブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に連続挑戦。
グラン・ウィザードをマネージャーに迎え、アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦して知名度を高め、メインイベンターとしての地位を築く。
なお、当時のWWWFには、同年4月26日に首折り事件を起こしたハンセンも共にサーキットしていた。
[匿名さん]
当時はゴリラ・モンスーンも半現役だったからゴリラ対決があったかも。
[匿名さん]
サンマルチノのマシンガンキックを胸で受け止めたのが掟破りだった。
[匿名さん]
ブロディ対ハルクホーガン
ブロディ対ダスティーローデス
ブロディ対アンドレ
ブロディ対ローランボック
ブロディ対前田明
を見たかったな
[匿名さん]
「ブロディ革命」
はなし得てたのだろうか?
それともやはり道半ばだったのか…
[匿名さん]
昭和60(1985)年5月31日発行 ゴング5月号増刊〈プロレス写真画報〉 ゴング・ベスト・アルバム・シリーズ⑭
甦る闘魂伝説vs新たなるブロディ革命 アントニオ猪木vsブルーザー・ブロディ
S60年4月18日 東京両国・新国技館 緊急決戦速報号❕
[匿名さん]
息子のジェフリーは何してるのかな?
プロレスはしてないのかな…
[匿名さん]