ハッキリ言って二流以下のレスラーだった。PWFタイトルを取ったのが最後の華。合掌…👏
[匿名さん]
カマタが、馬場からPWFヘビー王座を取った1978年に「馬場はカマタに負けよった」と言う歌があった。
[匿名さん]
話題的には、同日の武道館での猪木とバックランドのダブル戦より上か。
[匿名さん]
ブッチャーの上をいくわけにいかなかったから
「弱さ」を出さざるをえなかった、といえる。
脚本を変えればブッチャーと逆転していただろうね。
[匿名さん]
ブッチャーとの差別化も意識してか、全日本に行ってからは、ジャンピングトーキックも使用と。
[匿名さん]
実は、ハワイアンは日系と同じくギミックだったらしい。国籍はカナダみたいだから。
[匿名さん]
悪役だったが、試合前の花束贈呈の時、女性にキチンと頭を下げていたのが印象に残っている。本性は礼儀正しい好人物だった。
[匿名さん]
カマタが亡くなった時の記事にありましたが、カナダあたりでは結構戦っていたみたいですね。
[匿名さん]
日系カナダ人。 確か祖母が日本人だったと記憶してる。
[匿名さん]
大木金太郎とコンビした事もあったよね?
両者ともボウズ(ハゲ?(笑))頭だから、マルコメコンビだよね(笑)
[匿名さん]
以前、「とんねるずのみなさまのおかげです」の出演オファーがあったが、体調が悪く断った。🙀 残念😢
[匿名さん]
ブッチャーのインタータッグのパートナーと思った人は多かったかも。
[匿名さん]
日系ではない。
ハワイ出身で亡くなったときにカナダに住んでいた。
本名はケリー・マックロナルド・カマカ。
引退は80年代後半、カナダではスクールを開講し後進の育成を行っていたらしい。
[匿名さん]
どん臭いレスラーだった!? 国際では、ジプシー・ジョーの方が空気の読めて客が呼べた!
[匿名さん]
国際での最後のシリーズでは、ジョーともタッグ結成。
[匿名さん]
運動神経はいいよ。
ドロップキックなんかあの体型からは想像できないくらいきれい。
[匿名さん]
どうせなら最後のワールドシリーズでバションと戦って欲しかった。
[匿名さん]
国際に初来日の時190センチという事だったが180そこそこぐらいに見えた
[匿名さん]
初来日のとき
キラー・トー・アカマタ
という名前だと思い込んでた消防時代。
[匿名さん]
ニューヨーク、シカゴ、カルガリーのメインエベンターだった
[匿名さん]