初めてのタッグリーグ戦 ハンセン ホーガン組との決勝戦は熱くさせたぜ その後の若き藤波とのペアは頼りなく見えた素晴らしいファイトだったけど優勝しそうなきがしなかった
[匿名さん]
uインターに参戦し高田にあっとゆうまに負けてなかった?
[匿名さん]
リングシューズが黒で短め、水色のトランクスもへその下見えるくらい短め。
MSGではルー・テーズを意識した長めのガウンを着用してリングに入場。
[匿名さん]
ザファンクス一家の門下生。同期に鶴田やハンセンがいる。
[匿名さん]
そういう風に書かれるとドリーにプロレスを教わったみたいな誤解を招く
その前にミネアポリスでエディなんとかというコーチのもとでトレーニングをした。
[匿名さん]
ちなみに、猪木の師匠もカール・ゴッチみたいに言われてるが(猪木も否定してない)
実際はサニー・マイヤーズが師匠だった(猪木は後年、マイヤーズの事を語らない)
[匿名さん]
猪木はこういう選手の待遇を大事にしないんだよな そこが馬場との違い
[匿名さん]
WWFという権威(それでも当時は二流)を求めるようになって猪木の凋落が始まった
[匿名さん]
ダイナマイトキッドはボブバックランドが最強と語ってた、初代タイガーマスクより強いのはバックランドだけだと語ってた。
[匿名さん]
1986年よりアメリカでは一時セミリタイア状態となるも、
日本には1988年から1991年にかけて第2次UWFやUWFインターナショナルに参戦しており、
高田延彦とのシングルマッチも3回行われた。
[匿名さん]
WWF離脱後、1998年と1999年にはバトラーツに来日。
2001年には新日本プロレスへの16年ぶりの参戦が実現、
10月8日の東京ドーム大会において、かつてのライバル藤波辰爾と組んでザ・ファンクスと対戦した。
[匿名さん]
WWF全米侵攻に際して、マクマホンジュニアに地味で役不足と判断され
ヘビー級王座から引きずり降ろされた
[匿名さん]
腕力はボブが上だから マクマホンの力では 引きずり降ろせないだろ
[匿名さん]
マーク・ルーインを高田が招聘してヤオ?で勝った時、馬場は「ルーインのような一流レスラーをああいう扱いにして!」と
怒ったらしい。
[匿名さん]
アイアン・シークは日本では2流扱いだったがアメリカでは一流扱いだった
[匿名さん]
アイアン・シークとかニキタ・コロフとかあの手のタイプは日本ではサッパリ人気が出えへんな
[匿名さん]
リングを降りると態度はシンやブッチャーより悪かったらしいw
[匿名さん]
高田延彦にボロ雑巾のようにヤラれた、ほぼ•ばっくらんど
[匿名さん]
84最強タッグの馬場のミステリアスパートナーXのシルエットがバックランド
[匿名さん]
そうそう
ブッチャーなんてすごく親切らしいからな
シンは頑なにヒールを守ってるけど
[匿名さん]
猪木と2回60分フルタイム戦(他に2回やったのはドリーのみ)
[匿名さん]