日大一は両国という場所柄もあって、角界関係者の子弟も多く在学
[匿名さん]
日大一は戦後の東京で唯一、夏の甲子園4年連続出場(1968-71)
[匿名さん]
日大一の最後の出場は1988夏
この時優勝の広島商は、今年のセンバツでは出場校中最多タイの部員81人(聖光学院も81人)
かたや日大一は今は部員9人
[匿名さん]
春季山梨県大会31チーム
ついに4勝で優勝できる時代に
[匿名さん]
ついに塩山も連合チームに
1976夏に初鹿監督(日本航空高校が初出場時の監督)で出場
[匿名さん]
電車の中で汗や泥まみれのまま大声で喋りちらかす。
通路に足投げ出して偉そうにしてるのが多いのな。
マナーが悪いから親も反対するよ。
[匿名さん]
昨年、史上初のうち同士の決勝が素晴らしかったから、これで高校で野球をやりたい中学生が増えると思ったのに
またユダ●金融資本同士の決勝かよ
こういう八百長ばっかりだから誰も高校野球を見なくなるし、やらなくなるんだよ
[匿名さん]
箕面東、連合チームなのか
2008年、大阪桐蔭にサヨナラ負け
[匿名さん]
東金商、松戸国際が連合チームに
ともに21世紀に関東大会出場あり
[匿名さん]
東金商は2001春に千葉2位で関東大会初出場も初戦、優勝した花咲徳栄に0-7
OBには伊藤浩(ロッテ)、溝口憲雄(阪神)がいるが、大昔の選手でWikipediaに項目すらない
[匿名さん]
2001年春季県大会準優勝で関東大会出場の東金商、2008年夏の西千葉大会準優勝の沼南、2014年秋季関東大会ベスト8の松戸国際が連合チームとは、寂しいねぇ…
1974年夏の県大会ベスト4の下総(旧下総農=「スローカーブを、もう一球」のクロダ投手の母校)、2002年秋季県大会で優勝した敬愛学園に逆転敗けしてベスト4の館山総合(旧館山)の不出場は、残念。
[匿名さん]
1922夏出場の名古屋商は部員がいないため愛知大会不参加へ
[匿名さん]
名古屋商は1922年、予選初出場でいきなり優勝したが、それが唯一の全国大会出場
[匿名さん]
甲子園初勝利も部員数は増えず 県立高の悩み、今後は「地域移行」も
光はセンバツ初勝利も翌年の入部者は15人のみ
[匿名さん]
光は初勝利と言ってもCランク対決に勝っただけw
広陵に1イニング10失点してる時点で落選させるべきだったが記念大会に救われた
3回戦では山梨学院にも大敗した
[匿名さん]
その光に負けた彦根総合(外人部隊の私立)はセンバツ初出場の効果か、今年のレギュラーは全員2年生
[匿名さん]
1999夏出場の栃木翔南、今夏ついに初めて連合チームに
[匿名さん]
同じ栃木県だと小山西もかなり危うい状態
ちな栃木翔南に決勝で負けたのも小山西
[匿名さん]
今は生徒数減少で、公立校そのものを統廃合する時代。
野球部というお金のかかる部活動を各校で維持していくのは困難になってきている。
一方、強豪私立校は部員💯人超。設備投資もケタ違い。
甲子園を目指す大会は維持しつつも、次世代が野球を選べる土壌づくりを別の形で進めないと。このままだと、一部のエリートだけがやるスポーツになってしまう。
[匿名さん]
高校ラグビー鳥取予選、試合せず花園へ 対戦チームが人数不足
[匿名さん]
部員不足により、ルネサンス、大洗、神栖、鹿島灘、潮来、竜ケ崎南、岩瀬、真壁、明野、三和、坂東清風の11校が茨城大会不参加となった。
乱獲の通信制ルネサンスはともかく、甲子園でも1勝した明野が不参加って。。。
[匿名さん]
立正大淞南 北村直樹校長「島根の子ども達が上を目指すとなった時に、どうしても県外に出て行ってしまう。最初から外国人選手の方も来ていただいて、強いチームを島根に作ると、そういう気持ちで取り組みました」
[匿名さん]
『うまれた子供の数』
1970年、300万人
2024年、78万人
部員が減る理由はたんに少子化です!
[匿名さん]
部員8人の嘉手納は初戦敗退
2人を読谷から借りて沖縄大会出場
[匿名さん]
嘉手納は八重山商工みたいな感じで、中学時代の実績のある選手が集まった世代だけ強かった
[匿名さん]
競技人口はサッカーが上だが、
野球をしたい子どももいる。
野球はルールが複雑なので、
子どもはルールを理解できない。
小学校高学年か中学からになる。
プロでもルールを解ってない。
[匿名さん]
サッカーの名門校は部員2、300人も結構ある!100人台はざら!一方、野球は100人以上いる学校は稀w
[匿名さん]